ファッション・おしゃれ

上方と江戸、現在(いま)のセンスに近いのはどちら?

纏(まと)っていく文化・省略していく文化

「化粧について、上方では、女として生まれたからには、しっかりお化粧をするのが身だしなみだと言われていた。それに比べて江戸では、すっぴんの素肌を自慢するところがあった。上方では、髪をきれいに結い上げる。江戸では、湯上りの洗い髪が一番粋、まだ湿っているような髪を背中にたらして、櫛を横にさしているような姿があだっぽい。」
「女性の着こなし、着方について、上方はきっちり着つけたのに対し、江戸はだらしない着方をしていた。打ち合わせが浅いので、走ると裾(すそ)がすぐ割れてしまう。女の子でも懐手(ふところで)をするので、胸のあたりがはだけてしまう。」
「柄については、上方の女性はきれいな色を好んで着けた。それに比べて江戸の女性は渋めの柄を好んだ。『赤ぬける』と言って、赤い色など身につけなくても、色気が出るようにしていた。『垢(あか)ぬける』は、もとは体を磨き込んで垢のない体にするという意味だが、『赤なしで勝負する』という意味もある。江戸っ子には、『赤は身につけないぞ』という意地があった。」
「上方の場合、きれいなものをどんどん纏(まと)い、付け加えて絢爛(けんらん)にする。それに比べて江戸では、省略していく。過剰なファッションは嫌われ、何でも少なめがよしとされた。色数も少なめ。模様よりは縞(しま)のほうがいい。いろいろ使っているより無地のほうがいいし、華やかな色より黒の方がいい。そして最後に残ったのが通人(つうじん)の黒づくし。下着から羽織まで全部黒だけれども、素材が違う。羽織が羽二重(はぶたえ)で下が縮緬(ちりめん)、中が紬(つむぎ)といったように。そういうところで勝負していく。見た目にはわからない。女が寄りかかって、羽織に触った時に初めて、すごい羽二重だったことがわかる。遠くから見て目立つおしゃれはカッコ悪い。触る距離の人にだけ分かってもらえばいい。それが江戸っ子の『粋』と『通』の終着点である。そして、寒くても、あまり着こまない。伊達(だて)の薄着がカッコいい。やせ我慢の美学。」
「舶来物については、江戸も、わりと早く飛びつくが、こなれるまで人前には出さない。試用期間があり、流行るか、廃れるか考え、様子を見る。舶来物をどのように見立てるか(アレンジ)ということに重きを置く。かんざしに変えてしまうとか、帯に変えてしまう、あるいは煙草入れにするなど。」
「江戸では、マイナス要因だと思われていたことをカッコよく見せてしまう人が一番粋。例えば、頭が禿(は)げてる人が、あの人の禿(はげ)はカッコいいと言わせればすごく粋。マイナスであればあるほどいい。背が高くて美男子は、かえって野暮天(やぼてん)になってしまう。」
「『通』や『粋』となると、どこかこう、やつれた感じがいい。ほとんど滅びの美学に近い。江戸の人たちが心に抱いていた美学には、どこかマイナスの要素があった。京都人はプラス思考が強く、ずっと昔から都なんだという誇りのようなものがある。」
「江戸は直線的。水平と垂直。江戸で好まれる格子(こうし)や縞(しま)というのも、見た目がすっきりして洗練されているから。曲線や、ゆがんだりというのは雅(みやび)になる。ごちゃごちゃしているものは粋とは別で、風流という。風流というのはまっすぐなものを曲げて、何もないところに穴を開けて、平らなところをでこぼこにするというようなこと。粋は、構成要素がなるべく少ないところを面白がる。」
「ゴテゴテしたもの、脂ぎったもの、そして手間をかけたものなども野暮。フランス料理などは、江戸の人たちから見れば、野暮であって、よい素材をそのまま食べるというのが粋な食べ方、醍醐味(だいごみ)であり、贅沢である。味というものは調整するものではなく、そのものの味を楽しむという考え方。こういう粋がりが庶民の誇り。上の方の人は、そういうこだわりを全くしない。」

参考資料

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