雅ではなく“粋”

東京(江戸) ― 粋を「いき」と読む。

     

「粋(いき)」というのは、呼吸の「息」に通じる。「粋(いき)」はマイナスの美学。呼吸は吐いたときに「息」になる。吸っているときはただの空気で、それが人の体の中を通って、吐いたときに息になる。この身の内から外に出していくというのが、江戸の「粋(いき)」である。こそぎ落としていく、背負い込まない、吐いていく、削除していく、そうやって、ギリギリの最低限のところまで削り取っていって、最後に残った骨格のところに、何か一つポッとつけるのが、江戸の「粋(いき)」である。そして、骨格まで削り落とすというのが、「洒落(しゃれ)」に通じる。言葉、ファッション、両方の洒落が実は「舎利骨(しゃりこつ)」の「しゃれ」に通じる。それが江戸の美学の一つである。

京都(上方) ― 粋を「すい」と読む。

上方の「粋(すい)」は「吸う」に通じ、身の回りのあらゆるものを自分の身の内に取り込んで、血肉として自分を磨いてゆく。いろいろ習い事をしたり、情報を集めたり、教わったり教えたりという、人の間でもまれて身の内に吸収して「粋(すい)」になっていく。おしゃれにしても、お白粉を塗る、紅を重ねる、着物を重ねるという風に、どんどん乗せていく、プラスの美学。豊富な材料を、いかにアレンジメントするかという地道な生活観が核になる。

参考資料

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